離婚危機から辿り着く手放しの愛の境地

離婚危機を乗り越える!夫婦カウンセラーゆみのです。

まずは与えましょう。

与えたものが、返ってくる、それが宇宙の法則です

心理や、スピリチュアル、または自己啓発系のセミナーに参加された方は、この言葉を耳にしたこと、ありますよね。

なんだか、とても壮大なことのようですが、

人は、息を吐いたら、吸って

排泄して、食して

お金を払ったらサービスを受け取って

働いたら、対価を得る。

与えたら、受け取ることは、ごくごく、自然の流れ・・・

でも、

この自然の流れにおいて、実は、うっかり見過ごしてしやすいことがあるんですね。

それは、なんだと思いますか??

・・

実は、時として、与えることには、苦痛が伴うように感じること。

そう、与えることは「失う」「損」「嫌だ」と勘違いしてしまいやすいんですね。

例えば、神社ミッションって、ご存知でしょうか。

心屋仁之助さんが、提唱していた神社ミッション

損してもいい覚悟をして、痛みを伴う金額を投じたら、ミラクルが連発したという行いです。

100万円という身銭をきると痛みが伴うような、金額を神社ミッションをする。

このとき、ミラクルを起きることを期待していると、なかなか投じるのも勇気がいるんですよね。

だって「確固たる証拠」「絶対見返りがくる約束」は得られないから。

そう、このとき、

見返りが来なくてもいい、損してもいいと与える覚悟ができた時

そう思いなが、さらには

100万円投じることそのものに、喜びを感じ、気持ちよく与えることができたとき。

本当のミラクルは、起きやすいようです。

これって、

そんなこと、とてもできない!絶対無理!!と感じる方が、自然なんですよね。

ただ、結局は、

この失うことへの「感じ方」が

ただ、ただ痛くて、怖くて、しんどいと感じるのか

与えることそのものに、喜びや、幸福感を感じるのか。

その感じ方の、差「だけ」だったりするんですね。

あとは、

100万失っても、なんとかなるだろう、と、その先の自分も不幸にならないと言い切れる自信が持てるというのもあるかもしれません。

手放しの感覚って、

離婚をしたくない気持ちもあるけれど。

相手の気持ちを尊重して、離婚を受け入れようと思えるときは、そこにも、敗北や、挫折ではなく

その選択をできる自分を嬉しく思うような気持ちだったり

相手の幸福を願うことで、自分の幸福感もなんだか高くなるようなそんな感覚だったりします。

ブログにいただいたコメントを、ご紹介しますね。

 手放しをして行動すると、現実で失っていっています。例えば、二人の住んでいた家を手放した途端に解約され失った。

離婚を手放したら、離婚してしまう。。。

失うものがない行動すると、暴走してると思われ拒まれる。

全て拒否されてる状態で、行動ってどういうのを言いますか?

コメントから感じたのは、率直にいうと、喪失感です。

喪失感を感じて、与えることに痛みを伴うなら

(何もミラクル起きる保証ないのに、100万円の神社ミッションなんてできない)

と思うのであれば、やらなければいいんです。

やらなければ、「減らない」のだから。

そして、失うことが怖くて、与えられずにいるステージにいるんだなと、認めてしまえばいい。

与えるのは怖くて気がひけるけれど、受け取りたいものがたくさんあるんだなと、まず、認めてしまえばいい。

自然のエネルギーの流れに「今」は乗ることができないと、認めてしまえばいい。

さらに、本当は、どんな自分になりたいのか。

そこにい続けたいのか、それとも、進みたいのか。

自問自答する。

そして、与えたい自分になりたいのだとしたら、

この人の幸福のために、できることってなんだろうと、

自分のこと以上に、相手が嬉しいと感じることを、真剣に、考える時間を作ってみる。

見返りを求めずして、ただただ、応援してくれ、認めてくれ、称賛してくれる人がいるとしたら

居心地がいいことを、提供してくれる人がいるとしたら、

本当に、それは、その人にとって、「暴走」なのか。

暴走するということは「執拗」にやりすぎることへの恐れ・・ですね。

手放して、なんでも行動できるとしたら「暴走するのでは・・」という恐れがあるのだとしたら

まだまだ、つい相手に見返りを求めてしまうところがあるか

「そんな風に、相手に迷惑ばかりかける自分は人間だ」という自己認識があるのかもしれません。

そして、ここに繋がるのかもしれません

「どうせ、私は嫌われる存在」だという自己認識。

「何をやっても嫌われる存在」という思い込み

実は、ここに大きなトリックがあって、

離婚を切り出されるのも、不倫をされるのも、暴力を受けるのも、

「嫌われる存在」であることを確かなものにするために、自ら作り上げてる現実だったりするんですね。

なぜかといえば、

嫌われる存在でいるということにしておけば

これ以上傷つきたくないと、主張することができ

結果的に、与えないでいることの、正当な理由ができてしまうから。

与えることと、失うことはセット。

(100万円投じると、手元からなくなる)

失いたくないは、結局、与えたくないに、繋がってしまうのです。

お金ありません、これ以上払えません

だから神社ミッションできません。

でも、受け取りたい気持ちは持ち続けます。

これが、いけない、ということではなく

これだと、冒頭に書いたように、自然のエネルギーに背いてしまうということ。

そう、ただただ、失うこと、傷つくことが怖いばかりに、

あなたが自然のエネルギーをせき止めてるだけなのです。

そして、なぜ、そこまで与えることを、拒否して、受け取ることにこだわるかといえば、

何もせずして、愛されたかった根本欲求が眠っているかもしれないんですね。

そう、それは、無償の愛を受けたい。

ありのままの私を受け止めて欲しいという欲求

その想いはいつから、生まれるのかといえば、言わずもがな・・子供の時ですよね。

その思いを、親ではなく、配偶者に求めると

与えることを拒んで、受け取ることを願い続け、結果的に自然のエネルギーに背き不和を生んでしまうのです。

だからこそ、この問題を、根本から解決していくためには

本当のあなたは、どんなあなたでも愛される存在だったんだと、まず親の愛を受け取ること。

それよりも、何よりも、あなたがどれだけ、親の生きる支えになっていきたかを知ること。

あなたがどれだけ周りに、良い影響を与えてきて人なのかを知ること。

今までたくさんの愛を実は、あなたは親に捧げてたんだということを知ること。

何かができても、できなくても

もらおうとしなくても、すでにあなたは素晴らしい存在なんだと、ただ知ること。

ここを知ることができると、パートナーの愛の形が見えてくる。

そして、もうこれは返さなければ申し訳ないレベルに、愛を受け取ることができる。

愛を返せる自分に喜びを感じる、境地に行ける。

ここまで行けると、与えて、受け取る、自然のエネルギーに乗ることができるようになります。

あなたは、与えることに、どんな感情を、伴いますか?

喪失感が伴うとすれば、

まずは、あなたが、親からどれだけ愛され、愛を与えてきた存在なのか、きちんと知って。

あるいは、損したくなくて、持ち続けたい自分がいるんだということを、きちんと認めて。

その思いを乗り越えた先に、手放すことへの幸福感と、それに伴ったミラクルって起きるのかもしれません。

 

 

 

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